10年  



 今月の5日で私が竹細工を初めて丸10年が経ち、11年目に入りました。去年の今頃は、10年選手になる自分に対してかなり気負っていたところもありましたが、結局この一年を振り返ってみると、足腰や肩、また手指の関節など、色々と無理して身体を痛めた年でもありました。根を詰めすぎたせいもありますが、籠作りのプレッシャーもあるのだろうと思います。特に仕上げの縁巻きをするとき、身体も精神も追い込まれてかなりきつくなっていくのが自分でも分かります。


 痛みで身体を休ませざるを得ない時、カゴを作れない時、私は不安になります。このまま治らなくて竹が編めなくなったら自分には何が残るのだろう、師匠が脳梗塞で身体が動かなくなったときの辛さはどんなものだったろう、そんな思いが一人悶々と頭の中を駆け巡ります。先月のことですが、私は日之影町の竹職人、廣島さんを訪れて自分のカゴを見てもらいました。別れ際、私が彼にどうぞお体に気をつけてくださいと伝えると、それは俺の台詞じゃと、逆に笑いながら言われてしまいました。これからはもっと自分の身体が発するメッセージに耳を傾ける必要があるのかもしれません。






 上写真は、その廣島さんを訪ねた際、近隣の民家で見せてもらった「うしどん」のしょうけ(ザル)です。「うしどん」は、廣島さんが目標にされてきた名人のカゴ屋。おそらく明治初期頃のお生まれでしょうか、来月95歳を迎えられる廣島さんの、もう1,2世代前の職人です。廣島さんがお若い頃に一度だけ会われたという「うしどん」は、財産も名誉も何も残さずこの世を去られました。ただ行く先々の民家で見かける彼の編まれた籠だけが、廣島さんの仕事の手本となりました。写真のザルを見られた廣島さんは、「これは、うしのしょうけじゃ」とすぐに断定されたとか。直径2尺(60cm)の浅めの大ザルで、100年以上は経っているだろうとのことです。


 廣島さんやうしどんのしょうけを見るとき、世紀を超える大きな流れに、私は静かな存在感と落ち着きを覚えます。少し前のことですが、私がぎっくり腰で寝込んでいたときのことです。近所のばあちゃんが心配して私に食事を届けに来てくれました。そのとき彼女が私にかけてくれた言葉が、「きつかばってん、貫き通さんばな。」でした。何気ないばあちゃんの方言でしょうが、貫き通すという響きに、私は戦前・戦中を生き抜いて来られた方たちのたくましさを感じます。たかが平成になって竹細工を始めての十年、自分があれこれ悩んでもなるようにしかならないのでしょう。今はただ身体と心臓が動いてくれることに感謝して、しなやかに、でもしたたかに貫いて。気を抜く時は抜いて、細く長く。来年は身体の感覚と向き合って、少しずつゆっくりとであっても、次の時代まで繋がってくれる丁寧な手仕事ができたらと願います。