21年目  



 21年目に入った昨年末頃から、事情により、竹の仕事をずっと休んでいました。 今年の春から再開する予定でしたが、新型コロナウイルス感染症の影響で子供たちの学校が休校となり、結局、本格的に仕事を始められたのは、ようやく6月に入ってからのことでした。 


 半年近く竹から離れていたことで、果たして手がまだ覚えているかどうか、不安な気持ちがありました。久しぶりに仕事場に座り、最初に何気なく竹を割って取ったヒゴは、皮が薄すぎて、失敗しました。 が、二回目からは、少し意識して行うようにして、するとしばらくして、以前のような感覚が自然と戻ってきました。 私の師匠も、かつて10ヶ月ほど仕事を休んだことがあると、生前に聞いたことがあります。 そのときは、入院生活によるものだったのですが、「そんなに休んで、またカゴが編めるかどうか、不安な気持ちはなかったんですか?」と尋ねると、「なぁんもなかったよ」と、彼から一笑に付されたのを覚えています。 師匠の場合、小学生の時から自分で刃物を持って細工仕事をしていたので、指先の記憶は、身体から決して消えることなく染み付いていたのだろうと思います。



 私が仕事を再開したとき、さっそく編んだのが、地元からの注文だった、「一斗じょけ」と「めご」です。 このように昔から当たり前にあるカゴを編んでいて、つくづく自分はこれに惹かれていたのだなぁと、そのとき、体の奥から再認識しました。 今でも覚えていますが、それは、そのカゴ自体の製作が好きというよりも、一瞬ですが、師匠と同じ動きを自分がしている、という感覚です。







 また先月28日は、9年前に亡くなった師匠の命日で、彼の墓参りに行ってきました。 師匠の写真はほとんど残っていませんが、古い昔の写真が二枚あります。 一つは、カゴ編みの手を休めて休憩中の師匠。 もう一つは、奥様が仕事場を掃除しているところで、天井からは彼の作った「めご」がぶら下がり、床には、たくさんの「手箕」が重ねて置かれています。




 


 そしてまた、師匠に最初に弟子入りされた方の写真も出てきました。(私を最後に、師匠は全部で計5人の弟子を取っています) その方は近くに間借りして暮らされていて、両脚が不自由でしたが、現在のような車椅子などなく、毎朝、師匠の家には、両腕で地面を這って通ってこられたそうです。 未舗装な道路だったので、家に着いた時は、いつも彼の服は真っ黒だったと、かつて師匠は私に話してくれました。  時代背景も環境も違う中、自分が師匠たちのような仕事をすることは無理だと理解しています。 しかしながら、生きることに直結していた竹仕事に、私はいつも頭が下がる思いです。

 





 上写真は、先日地元の知り合いから修理を頼まれた、直径17寸(51cm)の、「一斗入りご飯じょけ」です。 蓋内部のヒゴが一部傷んでいますが、全体的にまだしっかりとしています。 下のザルの内側には、「昭和拾壱年(11年)作」と書かれていました。 師匠が4歳、最長老の職人さんでも、彼がまだ12歳の頃に作られたものです。 最長老の職人さんからは、もう一世代前の職人たちの話を色々伺っていたので、ひょっとしてあの方が作られたものかな・・と推測しましたが、結局、製作者は不明です。 おそらく、明治生まれの方だと思います。 最近は、人の力を超えたところで繰り返し起こる自然災害、そしてコロナで落ち着かない日々が続きます。 そんな中、こういった昔のしっかりとした手仕事に触れると、ただ今できることをしていくしかないと、私はあらためて思います。