22年目




 地元とそれ以外、半々くらいの割合で注文があり、ぽつぽつとカゴを編んでいます。 下写真、上は、直径45cmの菊底編み脱衣カゴ。 下左は、直径7.5寸の深め丸ザル、そして下右は、約30x40cmの角カゴです。 どこの場所であれ、私の編んだカゴがその方の生活に役立っているのであれば、作り手としてそれ以上の喜びはありません。








 今月28日は、師匠が他界して10年目の命日にあたります。 亡くなる3ヶ月前は、東日本大震災が起きました。 当時、普段はもうあまり反応を示さなくなっていた師匠でしたが、その時ばかりは目を大きく開け、津波や原発事故のニュースを真剣に見入っていた姿を思い出します。

 
 下写真は、お店(兼自宅)前での師匠夫妻です。 今から20年前の弟子入り中、正月の初詣参り前に、私が撮りました。 こうして店先に商品を並べるのは、当時の自分が、一日の最初にまず行う仕事でした。 「あぁ、いつもカゴがぶら下がっている、あのお店ね」と、車で通った時によく目にする籠や看板は、地域の人にとって、すぐに場所が分かるトレードマークのようなものでした。







 昨年末、師匠の奥様も亡くなられました。 コロナ禍でなかなか面会もできず、もどかしい日々でした。 私のことを息子のように思ってくださり、深いご縁を感じずにはいられません。 心から、ご冥福を祈ります。

 その後、四十九日の法要も過ぎて、自宅は解体することで話が進みました。 現在は、もうただの更地になっています。 それと並行して、隣の敷地には、新築のモデルハウスが完成しました。 その対照的なコントラストに、私は自分の気持ちがまだ追いついていません。






 

 解体前、自宅にあった師匠のカゴ達は、私が譲り受けました。 上写真、ほとんどが自家用で、一部は店に残っていたものです。 奥様とは、独立後もよく一緒にご飯を食べました。 右側の柄付き茶碗カゴ、ここにはいつも私専用の湯呑みが入っていて、手前の飯カゴ、夏場にはよく美味しい冷ご飯が盛られました。 


 師匠は、奥様と結婚してから40年以上、この場所で竹を編んできました。 しかしながら、かつてここにカゴ屋があったということも、そのうち地元の方達から忘れられるのかもしれません。 時の流れの早さにはもう慣れましたが、それでも文字通り建物が無くなって、どこか寂しい思いがしています。