竹の伐採時期  



 竹には、伐採するのに適した時期というのがあります。通常は、竹の水揚げが止まる秋口から冬までの期間です。その時期に切った竹は材質がしまって使い勝手がよく、また虫がつきにくいとされています。昔から切り始めて良い時期については、「木六竹八(きろくたけはち)」と言って、竹は旧暦での8月(木は6月)を過ぎてから、あるいは、その年の一年生のタケノコが成長して枝葉がふさふさと出始めてから、はたまた七夕(旧暦での)を過ぎたらもう切って良い・・・などと、言われています。


 一般の竹材店は、しかしながら、それでは商売が成り立たないので、年中気にせずに切っているというのが実情なようです。私の場合、竹切りはその年の8月の盆が過ぎて下旬位からぼちぼちと(1年生の成長具合を確認します)、そして遅くとも年内までです。一年分に使う竹をその時期に切り出し、家の裏側の大木の陰に寝かせておきます。当然、翌年の春頃から夏先にかけては竹が枯れ始め、ヒゴが取りづらくなってきます。それでも竹を四つ割りした後に川に一晩つければ、ある程度また細工が可能になるので、私はそのようにして何とか一年間の仕事を持たせるようにしています。(あまり長く水につけすぎると色が悪くなるので、常に次の仕事の手順を考えて準備しておく必要があります。結構、大変です・・・) ちなみに、8〜9月、そして12月に切った竹は、念のため薄い皮ヒゴ用にしか使いません。




真竹の写真。一年生の新竹に、もう枝葉がふさふさとついています。



 今年もそろそろ竹を切り出す時期になりました。そんな中、私の知人から、あるテレビ番組で木材の新月伐採のことが取り上げられたことを知らされました。オーストリアに伝わる新月に切った木材は長持ちするという話や、また日本の奈良県吉野地方に残る、「闇切り」という新月伐採の伝統のことが紹介されたそうです。「新月時」に伐採された木材と、「満月時」に伐採されたものとでは、細胞の中の水分・デンプンの含有量に違いがあるとか。私は以前から、竹の世界にもそのような「新月伐採」の言い伝えがあることを聞いてはいました。しかしながら、どこまでが本当なのか、その真偽の程はずっと定かではありませんでした。


 そして更に、別な知人から「大犯土(おおつち)・小犯土(こつち)」という言葉も知るようになりました。陰陽五行説の十干・十二支法(いわゆる干支のこと)では、庚午(かのえうま)から丙子(ひのえね)までの7日間が大犯土(おおつち)、そして、戌寅(つちのえとら)から甲申(きのえさる)までの7日間が小犯土(こつち)、と呼ばれます。60日に一度のサイクルで周ってくる大犯土・小犯土の期間は、昔から土を動かすこと全般の忌日と言われ、その時期に切った木材は虫が入って腐れやすいと伝えられています。そのため、昔の人はこの期間中は木や竹を伐採するのを避けてきたと言われます。実際にその日を調べたところ、月齢と何らかの関係がありそうな感じはしました・・・が、しかしこれも真偽の程はよく分かりません。



 私はそこで、ここ水俣の竹職人・木工職人の方達に、「新月伐採」や「大犯土・小犯土」のことについて尋ねてみました。しかしながら、私の師匠を含めてほとんどの方達がそこまでは気にしていない(または知らない)とのことでした。しかし、そんな言い伝えは聞いたことがあるよ、という方もいらっしゃいました。私は更にネットで色々と調べたり、また実際に各研究機関にも尋ねてみたりしました。そしてまた、自分が記録している過去に切り出した竹の伐採日と、当時の月齢表と干支の暦とを照らし合わせ、そのときの竹の使い勝手の違いなどを思い出してみたりもしました・・・・・が、結局確かなことは分からずじまい。私はそこで、うーん果たしてどこまで気にしたらいいのだろうと、色々と悩み考え込んでしまいました。




真竹


 

 そんな悶々としていた中、私の知人が、宮崎県日之影町在住の90歳の竹細工職人の言葉を私に届けてくれました。(ちなみに彼ご自身は、満月・新月より大犯土・小犯土の期間を気にされるとのこと。)「暦のことを勉強するのも面白いし、大事じゃけんど、でも竹が無くなったら切って作らにゃ。虫が食うても腐れても、また作りゃいいが。」 目から鱗が落ちました。飾り物でない、生活の道具を作ってこられた職人の言葉です。彼の編む籠は、私は日本で一番の腕とも尊敬する非常に丁寧で美しいものです。一方、長年竹とともに生きて来られた彼の心の大らかさが感じられて、私は目の前がすうっと広がった感じになりました。


 そして最後にもう一つ別な知人の言葉です。「いずれにせよ、月の満ち欠けとともに生きるということはいいですよね。」 私は、竹取物語の「かぐや姫」ではありませんが、月は竹に関して何らかの影響を与えているような気がしています。科学的な真偽はともかく、昔からの言い伝えには時代を生き抜いて来られた職人の想いがあるはずで、私はそれに対して敬意を払い、そして山に竹を切りに行こうと思います。