二重(ふたえ)バラ  




 地元の注文で、直径2尺の「二重(ふたえ)バラ」を作りました。こちらの方言で底の平たいザルを「バラ」と言い、形が丸いので「丸バラ」とも呼ばれます。元々は薩摩地方によく見られたもので、伝統的なものは縁をツヅラで括りますが、今回はステンの針金を使用しています。




  水俣は鹿児島との県境に位置し、薩摩の竹文化と共通するところが多々有ります。二重バラもこの辺りの農家でよく見かけるもので、野菜や梅干など、干し物全般に使われています。表は網代編み、裏には六つ目に編んだものを合わせます。私自身は二重バラをずっと見てきたものの、実際に作るのは今回が初めてでした。




 六つ目を編む時は、網代編みに張り付くよう、ところどころでヒゴの下に潜り込ませます。その後、輪にはめ込んで立体に立ち上げるのですが、そのときが最も緊張して苦労します。 無事に輪に入ったときは、夏の暑さもあって全身汗びっしょりでした。




 下写真は、「アヒルグチ」と呼ばれる、外輪と内輪を仮に挟んで留める昔ながらのバラ作り道具です。縛ってあるツヅラを上に持ち上げると、先のクチバシがギュッと締まる仕掛けになっています。針金だと広がる力に耐え切れずプチっと切れてしまいますが、柔軟性のある自然素材のツヅラだと、丁度よい具合に竹を押さえてくれます。このアヒルグチは水俣の最長老の職人さんが私に譲ってくださったもので、彼ご自身も、彼より一世代上の地元のバラ作り職人から、これらアヒルグチ一式を譲ってもらったそうです。




 今回は何とかバラを仕上げてみたものの、要領を得ずに苦労しました。先日、最長老の職人さんを訪ねてその話をしたところ、彼は外輪と内輪の作り方について、ちょっとしたコツを教えてくださいました。目から鱗が落ちるアドバイスでしたが、もし私が尋ねなかったら、彼も思い出して話されることはなかったかもしれません。聞けば、それは彼がまだお若い頃、地元の年配の職人から教わったことだと知りました。ひょっとしたら彼の代で誰にも喋らずに終わることだったのかもしれないと思うと、とても大切なものを受け取ったような気がして、私は思わず頭が下がりました。 

 かつて日本の各地には当たり前のように竹細工職人が存在し、人々の暮らしを陰ながらに支えてきました。彼らの多くは特に名を残すわけでもなく、今となっては人々の記憶から忘れ去られようとさえしています。 彼ら職人の一人一人の人生に、私はあらためて敬意を払います。
 




 私が暮らす集落から数キロほど下流のところにも、かつて腕の上手なバラ作り職人がおられました。その方はクロキじぃさんと呼ばれ、彼の作ったバラは、今もこの辺りで現役で活躍しています。上写真は、今回注文をくださった方が昨年まで使っていたという、クロキじぃさんの二重バラです。さすがに寿命となりましたが、何十年以上、その方のもとでしっかりと働いてきました。

 明治生まれだったというクロキじぃさんには、薩摩出身の弟子の方が一人おられたことを知りました。その方は師匠と同世代くらいだったとのことで、ひょっとしてその方に会えば色々と話が聞けるかも・・と思いましたが、残念ながらその方はもう亡くなっていらっしゃるとのことでした。