祖父の仕事  


 この数日間、神奈川県の実家に帰省していました。その際、20年近く前に亡くなった父方の祖父の墓参りに出かけました。祖父は明治42年生まれ、私自身は祖父と一緒に暮らしたこともなく、また正月に親戚が一同に集まる時に顔を会わせるくらいだったので、祖父については、ただ何となく静かに暮らしていたなぁ、と言った程度のイメージしかありませんでした。恥ずかしながら、祖父がどういった仕事をしていたのかということについて、私は殆ど何も知りませんでした。また、それを知ろうとする自分さえ、いませんでした。


 私の父はサラリーマンだったので、私自身は、いわゆる「職人」「手仕事」みたいな言葉とは、全く無縁の世界で育ちました。しかしながら祖父は、銅板やトタン板で一般民家や神社・仏閣の屋根の葺き替えなどを行う「板金職人」だったとのこと、そして、そのまた曾祖父も、同じ板金職人だったことを知りました。私の父が幼少の頃は、祖父の家に弟子が何人かいて(父が、そのような環境で育ったということを知るだけでも驚きでした)、時には注文を断るのに苦労するほど、忙しく繁盛していたそうです。また、祖父の他の男兄弟もみな板金職人だったそうで、中でも一番腕が良かった祖父は、よく他の男兄弟から色々とアドバイスを求められていたそうです。




 お墓参りの途中、たまたま近隣の村のある神社で、祖父の仕事を目にする機会に恵まれました。上の写真は、私の祖父が葺き替えた、神社の本殿の屋根です。偶然にも私の母親が、昔ここで祖父が仕事をしていたことを覚えていました。祖父の晩年の頃の仕事で、葺き替えてから、まだ40年程度しか経っていません。銅板は、いわゆる緑青(ろくしょう)と言って、時間の経過に伴って銅の表面が青さびを吹き、それにより、耐久性が増します。よく何百年も前に建てられた古い寺の屋根で、鮮やかな緑青色の銅板屋根を見かけることがありますが、この屋根は、まだそこまでにはなっていません。

 なお、下の写真が、「鬼」と言われる部分のアップです。中央部分の「紋」は、木槌もしくは金槌の「打ち出し」で、形を作っていると思われます。こうやって自分の仕事が後世まで残ると言うのは、幸せなことだと思いました。




 祖父は、神奈川県のある田舎の一職人でした。腕は良かったので、晩年は県の推薦を受け、職業訓練校の講師の職を得たそうです。 しかしながら、その話が決まったあとに病気で倒れ、その後は仕事ができなくなりました。今思い返せば、穏やかな祖父は、どこか私の師匠に似ていたようにも思います。私は、自分の血筋に祖父のような職人の血が流れていたことを、今回、突然に知りました。自分が職人の孫であったということ、今の私はそれをとても嬉しく思います。