(は)みかせ



 「食(は)みかせ」を作りました。藁や草などの家畜の餌を「食(は)み」と言い、それを牛馬に食べさせる桶に運び入れるのに使われるので、「食みかせ(食み+食わせ)」と呼ばれます。横幅は約55cm、縁は針金でなくツヅラを使っています。今回は、宮崎県の椎葉村に暮らされている知人のために編ませていただき、先日、納品がてらに彼のもとを一泊二日で訪れてきました。




 椎葉村と言えば、秘境の里として知られる山深いところ。民俗学者・宮本常一の本でもサンカがよく登場する地域として描かれています。椎葉の前に立ち寄った日之影の95歳の廣島さんも、「人間はみな椎葉から生まれてきたっちゃねえの?」と、笑って言われてました。その知人の方は70歳台後半ですが、ご夫婦二人だけで十数頭もの牛を飼い、畑を作り、あんなにも急な斜面に木を植えて山を育て、そして山中に100個以上の巣箱を仕掛けて蜂蜜を採られるという驚くべき方です。山奥の集落でたくましく暮らされている彼らの生活に、私は人が生きていくということの原点を見ます。





 彼の家に到着した時はもう夕方近くになっていました。なので、「食みかせ」を使い始めるのは、翌日の朝にしようということになりました。そして私が泊まった晩の夜中12時過ぎのこと、何と母牛が子供を一頭出産しました。朝になってよく見ると、まだ少し足元のおぼつかない子牛がふらふらと立っていました。やがて足取りもしっかりして、母親の乳をごくごくと飲み始めます。彼曰く、骨格ががっちりとして、とても良いメスの小牛とのこと。朝一番、私が編んだ青々しい「食みかせ」で母牛に草を与えながら、「新しいもの同士でこれは縁起が良い」と喜んでくださいました。




 ちなみに「食みかせ」は、たくさんの「食み」が入るよう、たっぷりと底に深みを作ります。「手箕」と作りが違って、先端からではなく底部から編み始めます。 「食みかせ」は、かつて家畜と竹が生活に欠かせなかった時代、牛を飼われている家にはどこでも見られたカゴでした。 今回の「食みかせ」や鶏を入れる「軍鶏かご」など、動物と関わるカゴは面白いです。子豚を入れて運ぶ「豚かご」というものがあると聞いたことがありますが、私はいつかそんなカゴも編んでみたいです。




 なお、それまでに使われていた昔の古い「食みかせ」も見せていただきました。所々にヒゴが折れたりして、縁もだいぶ傷んでいました。「食みかせ」は特に先端と底部が壊れやすく、今回私が作ったものは、裏に補強の力竹をはめるなどして頑丈に作りました。プラスチック製と違って竹の「食みかせ」は柔軟性があり、ヒビが入って割れたらお終いというわけではありません。修繕などをすれば、かなりの長い間使い続けることができます。




 椎葉村では、もうカゴを編まれている方はほとんどいらっしゃらなくなってしまったようです。かつて農家の方が器用に自家用のカゴを編まれていたところもありましたが、一方、他所から専門の竹細工職人が流れてきて、箕やカゴを編んで泊まり歩くというケースも多かったらしいです。知人曰く、彼が幼少の頃は、どこからか移動してきた人たちが家の裏のお堂に寝泊りし、そしてそこでカゴを編んでいたとのことでした。彼らのことを「箕作り」とか、あるいはこの辺りの背負い籠を「ホゴ」と呼ぶことから、「ホゴ作り」などと呼んだそうです。


 彼の元を離れたあと、今度は別な知り合いを訪ねて椎葉に残る昔のカゴを色々と見せていただきました。下の左写真のような穀物を選別する「箕」をいくつか見かけましたが、作りはここ水俣で見かける鹿児島の日置の箕と同じものの、椎葉で見るものはどれも底が浅いことが特徴なように思いました。それから下の右側は、直径70cm弱の二重に編んだ網代編みのバラ。60年以上も前に作られたもので、縁がところどころに傷んでいるものの、丁寧でしっかりとした作りです。(穴が開いているのはネズミにかじられたせいとか)




 かつて椎葉には、「キリカワじぃ」と呼ばれていた一人のカゴ屋さんがおられたことが分かりました。生きていれば100歳はとうに超えられているはずですが、どこからか椎葉に流れてきて、転々と各家庭に泊り込んでカゴを編まれていたとのことです。そして今回、偶然にも彼を覚えているというおばあちゃんに話を聞くことができました。彼女の義理の兄弟が彼からカゴ作りを教わったとのことで、「キリカワじぃは腕がとても良く、鼻歌交じりに上を見上げながら手元も見ずにヒゴを取っていた」、なんてこともおっしゃってました。ちなみに上のバラは、その「キリカワじぃ」と呼ばれる方が編まれたものです。家族も持たれず独り者だったそうで、素性は誰に尋ねてもよく分からず、いつの頃かまた椎葉を去っていかれたそうです。

 また別な地域では、長い髪を後ろで括った少し変わった風貌のカゴ屋さんもその昔どこからか流れてきた、なんて話も聞きました。私はこんな昔話が大好きです。ひょっとして廣島さんもお若い頃、そんなカゴ屋さんたちにどこかで会われたことがあるのかなぁ、なんて想像も膨らみました。わくわくして面白いですね。