「廣島一夫の手仕事」展  




 近江八幡市で行われていた廣島さんの手仕事展が無事に終了しました。8月1日〜12日、休館日を除く全11日間で、約800名もの方が全国各地からご来場してくださいました。一般の方はもちろんのこと、竹細工をやられる方、また他の手仕事の分野の職人さんたちも多くいらっしゃいました。こんなにもたくさんの方に廣島さんのカゴを見ていただけたこと、企画に関わったものとして感無量です。どうもありがとうございました。






 下写真、廣島さんが使われていた道具箱の中には、包丁や鋸などと一緒に、小さな手帳が入っていました。それはカゴの寸法などを記録したざっとしたメモでしたが、途中の頁に、ご自分の気持ちを書かれた一節がありました。 「十代の頃よりたけわりて三十年 まだはるかなり ごくいかな」 「そだてし お(俺)のこは大阪に行」 今回、遠くに離れて住んでおられる廣島さんの息子さんもご来場いただいたとのこと。私はお会いできませんでしたが、もしこの文章が目に触れてくれたのであれば嬉しく思います。






 二階のスペースでは、飯干さんの背負い籠「かるい」と一緒に、我々若手職人のカゴの展示・販売を行いました。前半の製作実演を担当した私は、近江八幡の竹を使って、片口じょけとみそこしザルを作らせてもらいました。竹は、地元の有志の方たちが車の入らない山中から一本一本切り出して運んでくださったとのこと。本当にお世話になりまして、どうもありがとうございました。



 




 下写真は、「がね(川蟹)てご」と呼ばれるモクズガニの捕獲カゴです。今回、二階で私もカゴを展示させてもらうにあたり、何か記念になるものをと思って作りました。胴体の二面には、蟹の入り口であるコシタを2個取り付けています。仕掛けるときは、魚の内臓など餌袋を中に入れ、フタに石を載せて川底に沈めます。

 この型の「がねてご」は、長年ずっと作ってみたいと思っていたカゴでした。幸いにも水俣最長老の職人さんが見本をお持ちだったので、それを参考に、また彼からも色々と作り方を教わりながら完成させました。弟子入り時代、師匠がこの「がねてご」を編んでいるのを側で見ていた記憶があります。 「がねのコシタはヒゴを厚めに、また先を少し開けて作らんばんとよ」と、彼がぽそっと私につぶやいたのを覚えています。この作りは水俣に独特な形で、私にとっては、師匠たち水俣の職人への思い入れがあるカゴです。廣島さんの手仕事展に出すことができて、自分なりにほっとしました。










 近江八幡で展示した廣島さんのカゴは、実はもともと、日之影町で商店を経営されていた中村憲治さんという個人の方が所有されていたものです。中村さんは、人並み外れた情熱と行動力で、廣島さんのカゴを通じて日之影の文化を世界に伝えられました。中村さんがおられなかったら、廣島さんの手業がここまで世に出ることはなかっただろうと思います。しかし今から約5年前、中村さんは55歳という若さで急逝されました。そしてその後、ご遺族の方たちが、宮崎県総合博物館と日之影町役場にカゴを寄贈されました。 

 廣島さんが編んでこられたカゴは、農家の方たちが普通に使ってきた生活の道具であって、通常であればこのように作りたてそのままの形で見ることは難しいです。実際にカゴを手にとって触れられるということ、写真や本と違って、作る側としては特別な意味があります。中村さんは私財を投げ打って、これら廣島さんのカゴを日本のみならず海外にまで残してくださいました。私には、師匠と出会う前にまず廣島さんの存在があり、そして廣島さんを知ることが出来たのは、この中村さんのおかげだと思っています。


 「いのちが循環する」という言葉を、来場されたお客さんが廣島さんのカゴを見て言われました。職人の想いや生き様、カゴを使ってきた人々の暮らし、あるいは自然に還る竹の生命。様々なものが、途切れずに繋がってくれたらと思います。今年97歳の廣島さんの手仕事、単なる昔のカゴということで終わらせたくはありません。どの分野であれ、それぞれの形でどこかに受け継がれて欲しいと願います。 

 今回の企画展に関わった全ての方々、そしてご来場いただいた方々に、心から御礼を申し上げたいと思います。どうもありがとうございました。