籠職人



 平成11年、私がはじめて水俣を訪れたとき、この地には現役の籠職人が三人もおられました。私の師匠と、今年引退宣言をされた最長老の職人さん、そしてもう一人は、下写真でカゴを背負われている方です。

 このカゴは、先日私が彼のために編ませていただいたものです。畑の野菜を入れるのに私の背負カゴを使いたいとのことで、彼ご自身が私に注文をくださったのです。光栄なことでしたが、私にとってはとても緊張するお話で、どこか卒業作品の提出みたいな感じがありました・・が、竹を熟知されているベテランの職人さんを前に、不思議なほどの安心感もありました。今回、無事に完成してこうやって背負っていただき、本当に嬉しく思っています。





 山深い集落に暮らされており、街のお客さんがふらっと立ち寄ってカゴを買える環境にもなく、彼はずっと問屋さん相手に仕事をされてきました。朝早くから夜遅くまで、ひたすらにカゴを編み続けて子供さんたちを育て上げられたそうです。今はもう現役を退いておられますが、彼もまた、私が心から尊敬する籠職人の一人です。

 ちなみに昔、私がはじめて彼を訪れたときのことですが、方角が分からず家のそばで道に迷ってしまいました。その後、生い茂る竹林を抜けてようやく彼に出会えたとき、彼が五右衛門風呂の湯を薪で沸かされているところを見て感動したのを覚えています。彼はどこか、竹の仙人(?)みたいな感じの方でした。




 下写真は、その彼のために編ませていただいた背負カゴの縁巻き途中のところです。一周するのに必要な竹の長さは約1.5m、全部で六周するので10m近くの長さが必要です。通常は途中で何回か継ぐのですが、今回は一本の竹で巻き終えました。巻いている途中、あまりにも長くて竹が絡まりそうになり、大変でした。 






 彼の父親もまた、籠職人でした。下は、その彼のお父様が編まれたという「ご飯じょけ」です。はじめてこのカゴを見せていただいたとき、飴色の美しさと竹ヒゴの繊細さに、私は言葉が出ないほど圧倒されました。

 明治生まれだったという彼の父親は、最長老の職人さんの師匠にあたる人と、ある同じ職人の下で一緒に修行された兄弟弟子の関係でした。一方、最長老の職人さん自身は、私の師匠の師匠にあたる人と、これもまた兄弟弟子の関係になります。なので、私が出会った三人の水俣の籠職人は、元は結局ある同じ一人の職人から広がっていることになります。

 



 今年になって、最長老の職人さんも引退されました。残念ながら、もう水俣では昔ながらの職人の手仕事を見ることはできなくなってしまいました。そんな中、自分が今何となく中間地点にいる気がしています。もう若くもなく、かといってベテランの年齢というわけでもなく。 中途半端な気持ちがする一方、でもどこか繋がりの真ん中で立っているようにも感じます。






 上写真は、直径二尺の「二斗じょけ」です。今月の上旬、酒造場さんからの注文で作りました。カゴ作りは、竹を割ってヒゴを取り、編み、そして仕上げの縁巻きをします。どんなに頑張っても、カゴを完成させるのは手の仕事で、一つ一つです。 先日、節目となる出来事があって、自分の人生が一つ動きました。籠職人の道に入って今月で14年目、途上に立っている自分の足元を見つめながら、来年も一つ一つ、籠を編んでいきたいと思います。