(もみ)通し

  

 「籾通し」を作りました。その昔、足踏み式脱穀機が使われていた頃、脱穀した籾をふるいにかけて、藁クズと振り分ける道具です。写真は、脱穀したあと一番に通す目の粗いふるいで、一センチ弱角の穴の大きさです。その後、更にもう少し目の細かいふるいにかけて、その次は唐箕(とうみ)で選別を行いました。ちなみに、このような竹製のザルのみならず、すべてツヅラで作ったものや、あるいは丸い木枠に金網をはめ込んだ籾通しも、この辺りではよく使われていたそうです。

 



 水俣の竹の「籾通し」は、底面を八角形に作ります。これは、ザルを回転させるとき、四角よりも使いやすいとの理由からです。私の師匠はこの籾通しを作ったことがなく、これは最長老の職人さんが得意とされていたザルでした。私は以前、独立後に一度作ろうと思って挑戦したことがありましたが、しかし斜めにした箇所を立ち上げるところで失敗し、結局そのまま挫折したっきりでした。今回、最長老の職人さんを訪ねてコツを教わり、ようやく無事に仕上がった次第です。



    

 

  ツヅラで底面を八角形に形作ったあと、斜めの部分は、細い竹を輪切りにしたもので束ねて編み込みます。この輪切りにしたものは、最長老の職人さんが引退後に私に譲ってくださったものです。深さは、あまり低すぎると回転しているときワラが外に飛び出てこぼれてしまうので、「粟通し」などよりはある程度の高さが必要です。最長老の職人さんのお師匠さんも、よくこの八角形の「籾通し」を作られていたとのことで、この手間のかかるザルは、当時でも「一斗じょけ」や「背負かご」より値段が高かったそうです。しかし農家にとっては必需品で、一家にひとつは必ずあったと伺いました。



 





 水俣には、他の土地では見られない、独特な形をしたカゴがあります。それは、私は主に三つあると思っています。一つは、胴体に桶の輪をはめ込んで紐を通す「背負かご」。もう一つは、胴体に穴を開けてカニの入り口を作る「川蟹てご」。そして最後の一つが、この底面が八角形になる「籾通し」です。四つ目に編んだ四角形や六つ目編みの六角形は目にすることがありますが、八角形のものは、私の知る限り日本の他地域では見かけないように思います。 
(後日、私の知り合いから「関東にも似たようなカゴはかつてあった」と、教えていただきました。ありがとうございます。いつか、実物を拝見できればと思います)







 
 最長老の職人さんに、私が「籾通し」について尋ねたときのことです。 「底は尺4寸x尺4寸、高さは3寸から3.5寸、あまり深すぎると使う人が回しづらくなる。それから・・・」と、彼の口から突然に、職人としての昔の記憶が詳細に語られ始めました。水俣の「籾通し」の最後の作り手から発せられる生きた言葉に、私はその間、貴重な歴史の記録に触れている緊張をずっと感じていました。完成したあと、私はさっそくこの籾通しを彼の手に取ってもらいました。彼からは、高さも目の大きさも丁度良いと言っていただき、ようやく自分の中で安心することができました。