七回忌



 師匠の七回忌の法要が無事に終わりました。師匠が亡くなってからの6年間、お世話になった他の職人さんたちも次々とこの世を去られ、瞬く間に時が経ってしまった感じです。また、先月16日は、日之影の「かるい」作り名人だった飯干さんが、享年90歳でお亡くなりになられました。彼のお仕事を生前に何度か拝見させてもらったことがありますが、材料の竹を手に取った瞬間、「この太さからはヒゴが何本取れる」と、その握った感覚で即断されるほど「かるい」一筋に生きてこられた職人さんでした。本当に、心からご冥福をお祈り申し上げます。





 下写真は、地元の比較的若い世代の方からの依頼で編んだ「ご飯じょけ」です。本体のザルは、その方の親が昔に使われていたものらしく、フタは最初から無かったそうです。今回飯カゴとして自分も使ってみたいとのことで、フタの製作を頼んでこられました。

 
 かつてこの辺りでは、農家で器用な方たちは自分でカゴを作っていた場合も多かったと聞きます。師匠は、「それでもやっぱりフタは作りきらんなぁ。それだけはおっど(俺)達に頼んできたよ。」と、言ってました。フタ物は、師匠のように、専業でカゴを作ってきた人たちのプライドが現れているとも思います。
 





 下は、同じく地元の方からの注文で編んだ魚籠です。このように口が広がったタイプは、この辺りでよく見かけるものではありませんが、お客さんの希望で編んでみました。 水俣に元々あった形、師匠がよく作っていたビクは、逆に中央部分が膨らみ、先がすぼまっています。どちらが使いやすいかはその人次第と思いますが、いずれにせよ腰に括りつけて使うので、ベルトを通せるように作りました。今後、色々と新しい形を作ってみる機会も増えてくるのかと思っています。




 

 今までと違った新しい世代の方からの注文は嬉しいことです。一方、師匠が亡くなってからの6年間、時計の針はあっという間に進んで、カゴをなんの気負いもなく普通に使ってこられた方たち、そしてそれを作る職人も殆どいなくなってしまいました。遠い昔からずっと続いてきた、当たり前に竹がある暮らし。つい何年か前までは、それは最後の名残だったかもしれませんが、それでもまだ実際の感覚として仕事をしている自分の中に在りました。最近は、いよいよ過去のものになりつつあることを感じ、少し戸惑いを覚えています。