リンゴ


  
 最近、朝にリンゴをよく食べています。リンゴに関する本を二冊、読みました。


 一つは、「奇跡のリンゴ(幻冬舎)」。NHKの「プロフェッショナル」という番組でも紹介された、自然農法でリンゴを作る木村さんの話です。リンゴ栽培では不可能と言われる無農薬・無肥料に挑戦し、8年もの歳月をかけてようやく辿り着いた彼の世界。家族を犠牲にして、どん底まで落ち込み、それでもリンゴの木を信じ続けた木村さん。彼の「歯」が一本も無いのは、リンゴの「葉」と引き替えにしたからと言われます。結局、生かされている自然の有機的な営みの中、リンゴの木が本来の力を出すのをただ手伝うだけ、という彼の言葉。暮らしの道具を編み出す「竹」の世界にも、どこか共通するところがあるのかもしれないと感じました。


 もう一冊は、ポーランドのヤーノシュという作家・画家の、「おばけリンゴ(福音館書店)」。ワルターという一本のリンゴの木を持つ貧乏な男の物語です。これは私が小さい頃に読んだ絵本ですが、木村さんの本を読んだあと、何故かワルターを思い出して30年ぶりに読み返しました。絵がちょっと独特で、また「ひみつけいさつ(秘密警察)」が出てきたりと、子供心にどこか不思議で哀しい感じが記憶に残っていました。ワルターが夜、一人ベッドでリンゴを祈る絵が印象的です。
 
     






・・先日、ようやく「ご飯じょけ」が仕上がりました。実は昨年末に一度取り掛かったのですが、最後の最後でフタがうまくはまらず(骨ヒゴを折り曲げるタイミングが、結局数ミリ程度遅かった)、それまでずっと精力を注ぎ込んだことが、その時点で無駄になりました。落ち込んで(年に何回かこんなことがあります)、しばらくはご飯じょけを見るのも嫌だったのですが、年明けて先日、フタをようやく編み直し始めました。


 木村さんは「バカになればいい」という言われます。彼のような抜けた境地には、なかなかなれません。でも、木村さんのリンゴへの突き抜ける一つの想い、そしてワルターの素朴で物悲しい世界、どこか心が揺さぶられます。木村さんの本を読んで、あと2,30年したら、自分が編む籠はひょっとしたら変わってくるのかもという気がしました。そんなときは、ただ竹を編めたらと願います。