鹿児島の竹細工職人



 私が尊敬していた鹿児島の竹細工職人Nさんが、本年10月、享年82歳で亡くなられました。薩摩地方によく見られるバラ(網代編みで作った平たいザル)を専門とされ、茶ベロや塩テゴなども作られていました。15歳の時に宮崎県の職人に弟子入りされ、その後もずっとひたすらに竹を編まれてきました。朴訥として義理堅く、昔ながらの職人さんがまた一人去られました。




 
 今から15年以上前、水俣で師匠と出会う前、私は彼のもとに弟子入りしたいと思って何日間か通いつめました。しかし、何度お願いしても彼は決して首を縦に振られず、後から尋ねれば、息子さんも継がれなかったこの竹仕事、もうこれからの時代には向いてないからとのこと。 今でもはっきりと覚えていますが、私が初めて彼の仕事場を訪ねたときのことです。彼は決して手を休めず、時折力を入れるところで息をグッと飲み込みがら、太い孟宗竹を一心に割り続けておられました。時々お顔を上げて話をされるものの、小柄なお身体とは裏腹に発せられる全身の迫力に、私は棒立ち状態で次の言葉が出てきませんでした。





 逆円錐形の形をした塩テゴ。その作り方は、私はNさんから独立後に教わりました。通常、2本飛ばしのアジロ編みで作りますが、私が知る限り、塩テゴの作り方は二通りあります。Nさんのやり方は、下写真のように、180度反対側の両端に、一部3本飛ばしができます。結果、そこに幅広い竹の柄を差し込むことが可能になり、より頑丈な仕上がりになると私は思っています。



 


 直径1m以上もある味噌バラや、ともすれば自分の体より大きい茶ベロなど、もう今となっては滅多に見かけない昔の生活のカゴの作り手に出逢えたことは幸せなことでした。Nさんは冗談で、「全部は教えんよ。教えたら、もうアンタは来なくなってしまうからね(笑)」などと言われ、私にとっては恐縮するほど嬉しい言葉でした。一緒に外でご飯を食べてご馳走してくださったこと、忘れられない思い出です。





 Nさんは私の師匠と同じ、昭和7年のお生まれで、彼らのような職人が私にとっての原点でした。竹の道具が日本に当たり前に存在した時代、それを最後まで支え続けた方たちが、こうして一人一人去られていくのは寂しい限りです。先日、彼のご自宅に線香を上げに伺い、墓参りをさせて頂きました。Nさん、どうぞ安らかに眠られて、ゆっくりと休まれてください。