20年目
竹細工20年目を迎えている、現在の自分の心境について。
周囲が、大きく変わっているのを感じます。 地元の需要もかなり減って、いつかこうなるだろうと、以前から予測していたことではありましたが、今まさにその時を感じています。 一方、真竹ではありませんが、各地の竹の開花情報もよく伝え聞きます。 令和になって元号も変わり、文字通り、大きな変化の通過点に立っている感じです。
自分が受ける注文も、時代に合わせて変わっていくのだろうと考えます。 ところで先日、久し振りに、師匠が編んだ「かれてご」の修理依頼がありました。 うっかり、草刈り機で穴を開けてしまったとのこと。何とかまた使える状態に直させていただきましたが、やはり、昔のカゴに触れるのは嬉しい瞬間です。
伝統芸能などの世界では、「型破り」とか「守破離」といった言葉を耳にします。 まずは、昔から続く先人の伝統的な型をしっかりと身につけて、そしてそれを破り、最終的には、そこから離れて自由な世界に入っていく、との意味だと理解しています。 しかしながら、竹細工にあてはめて考えたとき、私はいまだ、最初の型を習得するところから先に進めない難しさを感じています。
具体的には、シンプルな丸いザル。 私は、これが一番作るのが難しいと思っています。 普通のカゴは、まず底面を編み、それを立ち上げて立体を作ります。 そして、ある程度の高さができれば、形が安定します。 しかしザルの場合、専門的には「横編み」と言われ、最後の最後まで、無事に編めているかどうかが分かりません。 何もない不安定な空間で、ある半球状の物体を作り出す感じです。 そしてようやく編みあがった瞬間、それでも自分が思っていた形とは違っていた、なんてことも多いです。 ましてや、最終仕上げの縁巻きをしてみると、更にまた自分のイメージと変わったりします。
にも拘わらず、ザル(しょけ)は他のカゴ達と比べて、あまりにも当たり前で低く見られてきました。 たかが「しょけ」と言われ、かつて師匠が問屋さんに卸していた値段は、悲しいくらいに安いものでした。 しかしそんな報われなさは、それでも真摯に竹を編み続けた、師匠のような職人達への尊敬に自分の中では繋がっています。 20年経った今も、彼らへの憧れが私の原点であることに変わりありません。
あくまでも個人的な意見ですが、竹職人の人生で一番脂がのっている時期というのは、体力的な問題もあると思いますが、一般的に、60歳代後半〜70歳代前半くらいなように思います。 自分が出逢った職人さんたちを思い出しても、彼らがその頃の歳に作られたものは、本当に迫力あるものが多いです。 その後はどうかと言えば、更に年齢を重ねられながら、ご自分のカゴの世界を静かに深められていくように感じます。
今年で、私は50歳を迎えました。大げさかもしれませんが、あと何年カゴを編めるかということを、少しずつ意識しています。 以前は、いつまでも先が続いている感じで、新たな発見や驚きが多い日々でした。 しかし最近は、自分のカゴ人生の後半はどうなっていくのか、そんな終わりの方を想像することが増えるようになりました。
上写真は、直径60cm弱の、特大「ご飯じょけ」です。 最長老の職人さんが作られたもので、先日、地元の方から見せてもらいました。 昔は家族の人数が多く、法事や祝い事では、こんなにも大きい飯カゴが必要とされたのです。 私も弟子入り時代、一度だけですが、師匠が実際にこの大きさの「ご飯じょけ」を編んでいるのを見たことがあります。
おそらく、最長老の職人さんがまだ60代後半の頃に作られたものだと思われます。 この大きさで見事にカプっとはまる蓋もさることながら、基本となる下のザルの形、深さ、そして水平度など、どれを見ても、完璧でした。 私がこれを編めと言われても、それを生み出せる自信はまったくありません。 この飯カゴを手にして、私は久し振りに心が震えました。
私が暮らす集落では、色々と重機が入って大規模な工事が行われ、以前とは風景が一変しました。 住んでいる人も、暮らしぶりも、ここに移住し始めた頃とでは、もうだいぶ違っています。 それでいて、私のカゴ作りは、いまだ型を掴むべくもがいています。 果たして、いつか本当に納得のいくザルができるようになるのかと思いつつ、その一方、カゴ人生は、もうどこか中間点を過ぎてしまったような気もしています。