青物
本年8月1日〜12日、滋賀県近江八幡市の博物館で、廣島さんのカゴの展示会が行われます。 廣島さんは宮崎県在住の97歳。 いわゆる青物(生活道具としての竹細工)の世界では、神様のような存在です。 その昔、NHKのETV特集で彼の手仕事を見たことがきっかけで、私は最終的に青物をやりたいと心に決めました。 廣島さんのカゴは、これまで海外での展示は度々あったものの、国内では、宮崎県の外を出ることが殆どありませんでした。 彼の貴重な手仕事を見ることができる今回の企画展、よろしかったらどうぞ、足をお運びください。(私自身は前半の1日〜5日、二階で製作実演を担当します。 他の若手職人と同様、少しですが今編んでいるカゴの販売や展示も行えればと思っています)
廣島さんご自身は、本年1月にカゴ作りの道具を町に寄贈され、ご自分の仕事にいったん区切りをつけられました。 私は、彼が昨年に編まれたザルを持っています。 96歳という年齢で作られた「しょうけ」は、その事実だけで自分を圧倒します。 廣島さんは、青物の世界で、一つの歴史を築かれた方だと思います。
時期を同じくして、ここ水俣の最長老の職人さんも、今年になって引退宣言をされました。 私の師匠が昨年亡くなり、大正生まれの彼が、水俣に残る最後の昔ながらの青物職人でした。 昨年の秋に竹を運び入れて以来、どうか仕事を続けてくださいと、私は躊躇している彼に対して、ずっとお願いしてきました。 しかしながら、彼ご自身も、ついに自分の中で節目をつけられました。
彼の手仕事を頼みにしているお客さんは、たくさんおられます。 彼の「一斗じょけ」を愛用している地元の味噌屋さんや、あるいは「ウナギテゴ」を使って川漁を長年されてきた方など。 今後それらの注文を私が引き継ぐことになり、その重責を感じています。
先日、その最長老の職人さんから、譲りたいものがあるので取りに来ないかと、お電話をいただきました。 早速伺ってみると、彼が使われてきた道具を私にくださるとのことでした。 上写真はその一部ですが、写真左は、アヒルグチと言って、当て縁仕上げの時、縁をクリップのように仮に留めておくものです。(鹿児島では、カラスグチと呼ばれます) これは彼がまだ若かった頃、彼よりもう一世代上の職人さんから貰ったものだそうです。(ツヅラを上下させて先端の開き具合を調整します。 針金だと切れてしまって駄目だそうです)
そして右写真は、それら道具を入れた白い布製の手提げ袋。 これは、彼が彼の師匠から譲り受けたもので、今回一緒に私にくださいました。(彼の師匠が泊り込み仕事で他所に出かけるとき、この袋に道具一式を入れて運んだそうです) 明治生まれだったというその方は、私の師匠の師匠(大正生まれ)にあたる人をも弟子に取っており、なので、この手提げ袋は、私から見たら3代先の師匠の持ち物だった、ということになります。 私が恐縮して断ろうとすると、「こういうのは順番だから気にするな」と、彼はさらりと言われました。 その言葉を聞いて、私は頭をがんと打たれる思いでした。 いつか自分が彼の年齢に達したとき、果たしてそのように淡々と流れに身を任せることができるのか、私には自信がありません。
上写真は、直径9寸のみそこしザルです。 意識して少し底を平たく、浅めに作りました。 現在展示会の販売用にとカゴを少し作っていますが、何回作ってもこのシンプルなしょうけ(ザル)が一番難しいです。 廣島さんは昨年、カゴの名人はいくらでもおるが、人としての心がともなわない限り意味がないと、私に言われました。 技術を磨くことと年齢を重ねて深くなっていくこと、その両輪が大切だとおっしゃいました。
私が知っている青物の職人さんたちは、現在そのほとんどが、80歳を超える方々ばかりとなりました。 高齢などの理由で、多くの方たちが、自分の一部であったその手仕事から離れざるを得なくなっています。 彼らの心中を推し量ることなど決してできませんが、いつか私が年を取って自分に区切りをつけなければいけなくなった時、順番だからと、その言葉をもう一度噛みしめたいと思います。