地元の籠



 昨年は地元の注文が減り、それと比例するように、今まで頑張っておられた80歳以上の方たちが、体調を崩して現役を退かれることが多くなりました。 しかし今年になって、ポツポツとですが、注文が少しずつ復活しています。 彼らより少し下、いわゆる団塊の世代と言われる方たちからの依頼だったりと、今までとは違った年代層を感じています。 昔からの竹籠が次第と生活から消えていくのは仕方の無いことかもしれませんが、それでも、水俣の竹文化が少しでも繋がってくれたらと願います。


 地元からの注文で一番多いのは、いまだやはり、「かれてご(背負かご)」です。 そして次に、「一斗じょけ」などのザルたちでしょうか。 下写真、左側の「かれてご」は、80歳を過ぎてもなお元気で農作業をされているおじいちゃんからの注文で、少し大きめに作りました。 昔の人は器用な方が多く、桶の輪にはめ込む肩紐は自分で作るからつけなくて良いとのことで、そのままお渡ししました。(ちなみに私自身は、紐は知り合いに頼んで作ってもらっています)







 下は、地元のお茶農家さんから頼まれた、販売用の角カゴです。 無農薬・無化学肥料でお茶栽培に取り組まれている、若いご夫婦からの注文でした。 100年以上前に建てられたというご自宅の土蔵を改築される際、内部に建築材として使われたいたが大量に出てきたとのことで、それらを使って何かカゴができないだろうか・・・というのが当初の依頼でした。 110年以上は経過しているという竹の表皮を磨いてみると、中はすでに見事な飴色状態でした。 このような「角もの」は、火を使用して直角に曲げたヒゴを積み木のように組み立てていくもので、私の専門では本来ありませんが、何とか無事に完成させました。






 今年の春、国内のある地方都市でカゴを扱うお店の方が、遠く私のところを訪ねてきてくださいました。 まだ実用品としてのカゴの需要が残るその方の地域では、小綺麗に作られた籠と、少し荒っぽく無骨に作られたもの、同じ種類・値段であっても、荒っぽく作られた方をお客さんは選ばれるとか。 私はその話を聴いて、どこかすごく納得するところがありました。


 カゴ作りは緊張するもので、私自身の今の竹細工は、師匠たちのそれとだいぶ違っています。 時代の変化もあり、ある程度は仕方がないと思っていますが、それでも私は出来上がりを気にして、神経質に後ろを振り返りすぎるきらいがあるように思います。 また、それゆえに手間がかかってますます割に合わない仕事となり、自分の中ではずっと矛盾を抱えてやっています。 一方、あれこれ考えず、ただ作業に集中して一気に取り組んだ方が結果的にうまくいくこともあり、その方が健康的だなぁと、色々と考えさせられます。

 





 上写真は、地元の注文で編んだ「芋洗いじょけ」です。 おそらく水俣に独特な形で、泥が流れやすいように、わざと中央部を少しスカスカにして作ります。(縁も磨かず、全てそのままの竹の表皮です)  今回の「芋洗いじょけ」は、比較的悩まず、一気にぐっと集中して出来上がりました。(どうしても納得がいかずやり直したところも何箇所かありますが、それでも普段と比べれば、だいぶ気持ちよくできたと思います)  職人のこだわりという表現を耳にすることがありますが、一見褒め言葉のように聞こえるものの、実はその人を縛りつける不自由なことだったりします。 使いやすさと堅牢さは踏まえつつ、「ま、いっか」と言った、柔軟でゆるやかな姿勢の方が、今の私にとっては確かな感じがしています。