真竹の開花  




 真竹は、約120年に一度の周期で白い花を咲かせ、その後、一斉に枯死すると言われています。 すべての竹が枯れたあと、何年かかけて徐々に回復し、再び元の山に生きかえる・・そんなことを、大昔から120年単位で繰り返してきたそうです。 かつて竹の開花は、不吉な出来事の前兆とも言われ、人々から恐れられていたと聞いています。 前回は、主に昭和40年代にこの現象が日本各地で起こったそうですが、ここ水俣で花が咲いたのは、比較的遅い昭和50年前後でした。 竹山が自ら生命を断ち、そしてまた新たに復活していく仕組みは、神秘的でさえあります。 こうしていったん白紙に戻すことで、真竹自身の生命体が、様々な環境の変化に耐え抜いているのかもしれません。


 職人にとっては材料確保が困難となるこの枯死の期間、私の師匠にその頃の様子を尋ねたところ、彼はまだ枯れていない山を地元内外で探し回り(枯れ始めるのはすべて同じ時期というわけでもなかったそうです)、何とか使える真竹を探しては仕事を続けていた、と言ってました。 また、最長老の職人さんは、当時は良質の真竹が手に入らず、10年間ほど、孟宗竹でカゴを作っておられたそうです。 孟宗竹は太くて扱いづらく、そして肉厚なので真竹よりも一回余分に身を剥ぐ必要があり、手間がかかって大変だったと、よくおっしゃっていました。






 ここ何年か、竹を切りに行く時、この遺伝子に組み込まれた不思議な現象に思いを馳せています。 長い歴史の中で、職人にとっては、毎回辛くて大変な時期だったと思いますが、それでも技が途絶えずに続いてきたのは、取りも直さず、私たちの暮らしにカゴが当たり前に必要だったからです。

 
 しかしながら、前回の開花は、ある意味もっとも大きな打撃となったように思います。 その少し前頃から、日本は高度経済成長に入り、私たちの暮らしは大きく変わり始めました。 それ以前の時代にも竹製品の変化はあったでしょうが、それでも本質的なものではありませんでした。 そのときは、化学工業製品が出回り始めたことと重なり、多くのカゴ屋さんが追い打ちをかけられるように、生業の竹細工から離れていかれたのです。 最長老の職人さんは、「でも辞めることは考えなかった。自分にはこれしかない、これでやっていこうと腹を括っていたからね」と、言われていたのを思い出します。





 

 上写真は、もう十年以上前になりますが、その最長老の職人さんに作っていただいた「二升じょけ」で、完成されてすぐのところを撮ったものです。 私が20個注文を引き受けたもののどうしても数が納期に間に合わず、彼に助けをお願いしたところ、あっという間に三つ、ぽんと作ってくださいました。 竹の青みがまだ落ちず、腕の早い彼の仕事ぶりが伺い知れて、本当に助かったのを覚えています。



 一方また、下写真2枚も、同じく最長老の職人さんが作られたカゴです。 左は、我が家で使っている「おしめかご」で、洗濯物を入れるのに重宝しています。 柄が直角に曲がっているのは、彼のオリジナルです。 そして右は、地元の94歳のばあちゃんが使われている「かれてご」。 どれくらい昔に作られたものなのか分かりませんが、彼女と一緒に、いまだ現役で活躍しています。





 
 昨年末、その最長老の職人さんが亡くなられました。 享年91歳でした。 亡くなられる2週間ほど前にお会いしたときは、体調を崩されていたものの、それでもそんな感じはありませんでした。 突然の訃報に、言葉がありません。


 彼の仕事場を訪ねていたときのことです。 顔を上げて会話を続けながらも、手は止めず、指先に意識を集中してヒゴを取り続けられていました。 そして、時折さっと道路に飛び出た竹を手前に引っ込めるのですが、どうしてだろう・・と不思議に思っていると、その何秒か後、エンジン音を立てた車が家の前を通り過ぎていく・・そんな感じでした。 すべての身体感覚が、同時並行で当たり前のように、たんたんと仕事をされていました。 もうこんな職人さんが、これからの日本に現れることはないと思います。 


 私の竹人生に最も大きな影響を与えた職人は3人。 師匠と廣島さん、そして、この最長老の職人さんでした。 私は彼から、技術的なことのみならず、多くのことを教わりました。 心からの感謝と、お悔やみを申し上げます。



 



 地元の注文は、「かれてご」や「一斗じょけ」が多く、ぽつぽつと続いてくれています。 来年で20年目になりますが、10年目を迎えた時とでは、自分の気持ちが大きく変わっています。 以前は、まだ周りに職人がいらっしゃって、私が弟子入りしたときのような新鮮な気持ちが変わらずにありました。 今は3人ともこの世を去られ、もう尋ねることもできず、残された昔のカゴを頼りにするか、あるいは自分でどうやったらいいのかを問い続けることしかできません。


 120年で、生命を繰り返す真竹。 私は何か大きな意志をもっているように感じます。 一方、その中で作り手は、連綿と手業を途切れさせることなく受け継いできました。 生きるためにこの道に入った職人の生き様は、私などとは迫力が違います。 繰り返す竹の枯死を乗り越えて、遥か以前からずっと繋がってきたもの、その最後の背中を見させていただきました。 次回、開花現象が起きるのは、2090年前後。 その頃私はもう生きていませんが、次の120年が再びやって来るとき、その時代の籠作りは果たしてどうなっているのかと想像しています。