長崎・佐賀
先日、友人の岩手の桶屋さんと一緒に、長崎・佐賀の職人さんたちを訪ね回る機会がありました。 熊本の竹細工と違って、淡竹(はちく)を使うことも多く、また、縁巻きも左巻きが多いのが特徴です。 今の時代にまだ現役で籠を編まれているお姿が、私にとっては奇跡のように思えました。
下写真左側は、牛の餌を入れる特大のザル(6尺サイズ)。 いわゆる手箕の大きいもので、その地では「サキナシ」とも言われるそうです。 ちなみに水俣では、食み(はみ)を食わせるということで、「ハミカセ(はみ+食わせ)」と呼ばれます。
下の右側の写真、左の小さいカゴは「ご飯じょけ」。 天草地方なども同タイプですが、蓋が「網代編み」で作られています。(赤い部分は、茶粉で染めたヒゴ。) 水俣で見られるような「縁巻き」で溝を作るタイプの蓋よりも、手間が省けて作るのが早いそうです。 右の大きい六つ目カゴ(直径60cm弱)は、田んぼの代掻き後、水面に風で吹き溜まった雑草を取り除いて運ぶためのもの。 ヒゴが太く、とてもがっしりとしています。
かつて箕作りが盛んだった、長崎県の離島の集落を訪ねました。 一般に、ゴザ目編みの「箕」は、竹のみならず他の様々な植物も用いますが、この地域の箕は、桜の皮ではなく、楮(こうぞ)を使います。 また底部や持ち手部分など、ところどころに独特の作り方が見られました。 そして、その地で最後となってしまった箕作りの方にお会いすることができました。
代々箕を作ってこられたという彼は、81歳でいらっしゃるのに何と現役の素潜り名人で、前日に海に潜って獲られたアワビをご馳走してくださいました。 若い頃は櫓(ろ)で舟を漕ぎ、近隣の島々まで箕を売って回られたとか。 時代は変わって需要も減り、現在は箕を編むことも殆ど無くなってしまったそうですが、玄関先に材料を取り出されて、箕の編み始めを少し見せてくださいました。 私は彼に新品の箕を一つ注文したので、手元に届くのを今からとても楽しみにしています。 彼のお顔の表情が私の師匠によく似ていて(特に少しうつむかれる時)、はにかまれるところなどはそっくりでした。
この集落には独特の風習があり、葬式のとき、六つ目に編んで口を縛った「ハナカゴ」と呼ばれるパイナップル状の竹籠を供えます。 竹竿が挿されたハナカゴの中に半紙で包んだお金を入れ、ドンドンと地面に突き、そして編み目の隙間からこぼれ落ちたお金をみんなで拾うそうです。 その後は、下写真のように一対を墓前に立て、そのまま朽ち果てるまで野ざらしにするとか。 昨年の暮れ、三名の方が集落で亡くなられたとのことで、我々が訪れた時は三対のハナカゴが立っていました。 それらは全て、彼が注文を受けて編まれたものです。
その後、90歳の別な箕作りの方の家を訪れました。 案内してくれた81歳の彼が外から呼びかけると、やがて木戸がゴトゴトと開き、静かに彼が現れました。 目を悪くされて、現在はもう箕やカゴ作りを辞められているとのこと。 一人でたんたんと暮らされているお姿が印象的でした 。残念ながら、彼が作られたものはもう何も残っていませんでしたが、唯一、壁に掛けられていた、昔に編まれたという竹の手箕(「ホゲ」と呼ばれます)を見ることができました。 しっかりとした丁寧な作りで、彼の妹さんが使われていたらしく、彼女のお名前がカゴの縁に書かれていました。 妹さんは被爆者であったそうです。 陽がかすかに差し込む板間の縁先で、最後の箕作りとなったお二人が、互いを向いて語り合っていました。 それは私にとって、歴史的な光景でした。