水俣の竹籠職人(3)



私の弟子入り時代の、師匠との思い出話をもう少しだけ。


カゴ編みで大切なのは、基本となるヒゴ取りです。きちんとヒゴが取れなくては、編まれる籠もしっかりとしたものになりません。竹を割り、そして内側の身を剥いで、そしてまた割って・・・そのような包丁を使っての手作業を何回か繰り返し、最終的に6,7mもある細長いヒゴを取ります。その厚みは均一に、また、籠の種類、使われる部位によっても、微妙に調節することが必要です。最初は、このヒゴ取りが難しくて苦労しました。縦に裂いていくのはともかく、包丁で身を剥いで均一にヒゴの厚みを揃えるというのが、なかなかできないのです。(ちなみに師匠は、ヒゴを縦に割るときは、二本重ねて同時に一緒に裂きます。「その方が、仕事が倍に捌(さば)けっとやろ」と、難なく師匠は言いますが・・・これは結構大変です。)また、籠の種類・編む場所によって果たしてどれくらいの厚みにしたらよいのか、それを手に覚えさせるのも大変でした。


「カゴ屋さんの指先には目がついている」なんてことを聞いたことがあります。ヒゴの厚みは目で見て決めているのではなく、包丁を使って竹を剥いでいくとき、それを指先で感じながら、その時に微妙な厚みを調節しているのです。「一斗じょけは、こんくらいの厚みで取らんば」と言って、師匠からポンと見本に手渡された長いヒゴは、むらなく綺麗に均一の厚みで取られています。私は何度も手で触って確かめながら、その厚みを覚えようとしますが、当初はどうしてもうまくいきません。


 師匠は、あまり喋るのは得意ではありませんでしたが、私に対しては、とにかく一生懸命に言葉で技を伝えようとしてくれました。とは言え、どうしても言葉では伝わらないものもあります。特に、このヒゴ取りがそうです。師匠は「ここで調節せんば」と、親指と人差し指を擦り合わせ、ヒゴ取りの作業を何度も親切に見せてくれるのですが、でも実際にそこをどう調節するのかは、やはり言語化されない世界です。一日中ずっと同じヒゴ取りを練習するものの、それでも上手にできずに落ち込む自分に対して、「これだけはとにかく数をこなして手が覚えんばな」と、師匠が優しく言ってくれたのを思い出します。


 師匠は、お客さんが訪ねて来ても、決して手を休めずにヒゴ取りを続けていました。顔を上げたまま会話をして、その状態で下を見ないままに長いヒゴを取るのです。(「お客さんの顔を見たまま、手元を見ずにヒゴを取り続ける」―これは職人の一種のプライドだとも後に分かりました。私が訪ねた他の職人さんの中にも、「こうやって手元を見なくても指先の感覚だけでヒゴを取れるんだよ」と、そんな職人の自己アピールを感じたこともありました。)


 ところで弟子入り中、よく仕事場に訪ねてくる近所のおばあちゃんがいました。現在はもう亡くなられましたが、当時でかなりのご高齢、耳がとても遠い方でした。仕事場をガラッと突然に訪ねてくるそのおばあちゃんに対して、師匠はまず「良か天気やが」と、挨拶します。するとおばあちゃんは、「なぁんちや?(何だって?)」と、大きな声で尋ね返します。すると師匠は、もう一段大きな声で「良か天気やが」と繰り返します。するとおばあちゃんは、「じゃが・・(その通りだねぇ)」と、満足した顔で答えます。その後のやりとりも、全て似たようなものでした。師匠が何か言えば、その次には必ず「なぁんちや?」と、おばあちゃんが聞き返し、更に師匠が声を張り上げて繰り返せば、「じゃが・・」と、にこにこと納得したような顔に。まるで漫才の掛け合いを見ているようで、私は一段下がった土間のところでカゴを編みながら、いつも二人のやりとりをくすくすと笑って聞いていました。私たちは、彼女を「じゃがばあちゃん」と呼んでいました。師匠は嫌な顔一つせず、いつもその「じゃがばあちゃん」との他愛もない会話を楽しんでいました。師匠の仕事場は、時間が止まったような、どこか昔ながらの懐かしい感じがします。「じゃがばあちゃん」が特に何の理由もないのによく訪ねてきたのは、きっとそんな雰囲気に惹かれてなんだろうと、私は今になって思い返しています。


 でも、そんなやり取りの最中も、師匠は決して手を休めることはありませんでした。師匠は大きな声で同じことを繰り返し、じゃがばあちゃんは「じゃが、じゃが」を繰り返し、・・・そんな中、師匠は6,7mもある長いヒゴを取り続けていました。私はいつもそんな師匠を見ては、かっこいいなぁと憧れていました。


 13歳から学校も行かず、ずっとこの道一筋の人生を歩んできた師匠に対し、私は、この先もずっと永遠にかなわないと思うことが、特に一つあります。それは言わば、師匠の竹に対する野生的・本能的な感覚です。私は、物事の捉え方など、何でもまずは頭で考え、それを通して認識しているのを痛感します。例えば何かカゴを編むことで言えば、その形を把握するとき、私は寸法を測って、それで初めてうまく編めているかを確認したりするところがあります(むろん、それが必要でないというわけではありません)。一方、師匠の捉え方は、もっと本能的な感覚に近いものだったように思います。


 例えば「一斗じょけ」のような大きな丸いザル。私は寸法を測ってその大きさや形、深さなどを確認したりするのですが、師匠はもっと野生的なところがありました。パッと一目見て、それで全体をつかみ、そして私みたいにいちいち手を止めて確認することもなく、手が別な生き物の様に動いてあっという間に編み上げます。そうして編まれた「一斗じょけ」は、なぜか不思議と、いつもどれも同じ形、きちんとした形に仕上がるのです!


 それから、竹切りに行ったときなど。竹をトラックに積むとき、山から切り出した竹は、そのままでは長すぎるので、仕事場に入る目一杯の長さのところで先を切り落とします。私はいつも「仕事場の長さをまずはきちんと測り、そしてその寸法に合わせてから竹を切らないと・・・」と思うのですが、師匠はそんなことはお構いなしです。どっこいしょと座り込み、竹の先っぽを握って少し持ち上げ、竹全体を根元に向かってパッと見渡します。そして、「これくらいやが」と、迷うことなく目分量でざっと切ります。その後、トラックに積んで竹を仕事場に運び入れる時、これが不思議にぴったりと、仕事場ぎりぎりで入るくらいの長さになっているのです!


 師匠のそういったところは、竹以外でも感じることがありました。師匠は何事も頭ではなく、とにかく自分の手で触って試しながら物事を把握していくようなところが見られました。例えば、何か新しい道具を購入したとき、説明書などはまったく読まず、まずはとにかく興味津々に、自分であれやこれやといじってみます。こうすればこうなるとか、ここがこうなっているとか、まずは自分の手で実際に触り、そうしてそれを知っていくみたいなところがありました。


 ところで余談ですが、師匠には結構頑固なところもありました。弟子入り中の私は、師匠と一緒によく畑仕事も手伝いました。(師匠は松葉杖でしたが、片手で鍬を持って器用に耕したりするのです!)よく一緒に、農作業用の道具を入れる畑小屋なども作りました。師匠は、自分でセメントやブロックを買ってきて土台作りをし、そして知り合いから貰った廃材や窓枠などを利用して、全て自分で建てるのです。(そんな経験の無い私にとって、後に私が独立後、自分の現在の仕事場を改修するときはこれらの経験がとても役に立ちました)そんな師匠は、一度決めたらそれを絶対に曲げないといった頑固さもありました。例えば小屋を建てている途中で、明らかに枠の寸法を間違えて窓が入らなくなってしまったことがありました。通常であれば、小屋の大きさに合わせて小さめの窓に変更すればよいのでしょうが、師匠はとにかくその窓を使うということで、逆にその窓に合わせて小屋を削ったりするのです! 後に奥様からその小屋の不恰好さを指摘された時、師匠は絶対に自分の失敗を認めずに、「太陽の光がいっぱい入って良かがな」と、答えていましたけど。

  (続く)