職人の祭り(太子講祭り)




 ある時師匠の家から、聖徳太子の掛け軸を発見し、これは何ですか?と尋ねたところ、「それは、たいしこ祭りの時に飾ったったい」と、言われました。


 「たいしこ(太子講)祭り」とは、聖徳太子を職人の神様と見る一種の民間信仰で、その昔、まだ組合という制度ができていなかった頃、各地で職人が年に何回か寄り合って、製品の価格の取り決めなども一緒に行ったという、職人の祭りです。 竹細工に関しては職人の数は減る一方だったので、ここ水俣では、組合という形式まで発展することがありませんでした。 戦前は六十人ほどいたという水俣の竹籠職人も、現在では、僅かに数名です。 大工や左官など、他の業種の太子講祭りが早くに姿を消した中、竹細工だけは、細々とその習慣がずっと受け継がれてきました。 一番最後に開催されたのは、ごく十年程前だったそうです。 年に3回、正・五・九月の22日に開催し、かつて多い時は、十何名もの竹細工職人が一同に集まったそうです。







 平成16年9月22日、私からの提案で、「たいしこ祭り」を久し振りに師匠宅にて開催しました。 昔からずっと生活の籠を編んできた現役の竹細工職人は、私の師匠含めて3人となっていました。 皆それぞれに昔どこかに弟子入りされて、籠編みの技術を受け継いで来られました。 色々と話を聞くうち、私の師匠の、更に3代前の師匠まで遡ることができました。 そして、元をたどれば3人とも、その一人の方から枝分かれして、今の技を受け継いで来られたということも分かりました。(その方もどこかに弟子入りしていたそうですが、その先はもう誰も分かりません。)


 聖徳太子の掛け軸については、ここ十年近く師匠宅で眠っていたのを、その日は再び職人の神様としてお披露目されることになりました。 この掛け軸がいつ頃から存在しているものなのか、誰も記憶にありません。 ずっと昔から持ち回りで、幹事となる職人から職人へと手渡され、最後は師匠宅に残っていたそうです。


 今の時代に、現役の昔ながらの竹籠職人が三人も一同に会したということは、すごいことです。 しかしながら、師匠が脳梗塞で倒れてリハビリ中となり、またもう一人の方も、今は竹細工を辞められていらっしゃるとのこと。 現在は、下写真中央の方が、いまだ山間部の温泉湯治場で、水俣最長老の職人として籠を編み続けておられます。




水俣に残る竹籠職人(一番左が私の師匠