水俣の竹籠職人(4)




 私が編みたいのは、やはりどこか生活の中で使って欲しい籠たちです。時代は変わり、「荒物」と呼ばれるような、大きくて荒っぽい籠の注文は少なくなりましたが、それでもたまに昔の漁具・農具の注文が入ったりすると、私は心が躍ってわくわくします。私の師匠は、見た目の美しさはむろんですが、それよりも、むしろ使い勝手の良さ、丈夫さを大切にしていました。そして私へのアドバイスも、実際に籠を使う人のことを考えた、より実用的なものでした。


 弟子入り中、ウナギを捕るための「ウナギてご」を編んでいたときのこと。私はなるたけ綺麗な細長い筒状になるようにと、見た目の形ばかりを気にして編んでいたのですが、出来上がった籠を見た師匠は、そんなところには目もくれず、すぐに籠をひっくり返し、底の目の詰まり具合を見て一言。「これだとミミズが逃げっとよ」と。あるいは、捕獲したウナギを入れておく「ウナギ籠」。底は、「菊底編み」と言って、放射状に編んでいくのですが、中心部がわざと上に盛り上がるようにして編みます。私は単に見た目の美しさかなと思って、独立後も特に理由も分からず、ただそうして編んでいました。しかし、それにもやはりきちんと理由がありました。底が下にくぼんでいると、捕獲したウナギが中で縮こまって傷んでしまうのです。逆に、上げ底に編むことによって、中のウナギが周囲に沿って長々と横たわることができて、より長く生かされるそうです。こんなことはウナギを実際に捕ったこともない自分にとっては、師匠から教えてもらわない限り、絶対に知り得ないことでした。


 海や川、そして里山の自然に囲まれた水俣の暮らし。私の師匠は、かつてこの辺りの地域のほとんどを、松葉杖で歩き周って、それぞれの家庭のために籠を編み続けました。そこで鍛えられた職人としての腕は、師匠の誇りでもあるし、また、私の誇りでもあります。弟子入り時代は、私は季節の移り変わりを、籠編みを通して感じることができました。師匠は「そろそろタケノコの出よっとやが」と、タケノコ堀り用に「かれてご(背負い籠)」を編み始めます。また、「流し(梅雨)も明けたで梅をそろそろ干さんばな」と、「梅干しバラ(平たいザル)」を。あるいは、「そろそろウナギが登ってこらんばな」と言って、今度は「ウナギてご」を。私は、その都度言われる籠を覚えるのに必死でしたが、ある時、水俣で過ごした一年を振り返れば、私が習ってきた籠は、水俣の季節の移り変わり、またそのときにお客さんが欲しがる籠と、決して無縁ではないことに気づきました。そして、それは師匠が「田舎周り」で培った経験によるものであることは、言うまでもありません。


 しかしながら、私が独立して間もない頃、師匠は脳梗塞で倒れて左半身全体が麻痺してしまいました。心臓も弱っているため、今はもう残念ながら籠を編むことはできません。それでも私は、何かあれば師匠に尋ねるし、またそのように実用的なアドバイスをくれる師匠は、今でもとても頼りになる存在です。


 師匠は、釣りが唯一の趣味です。弟子入り中、世間の祝祭日とは関係なく、天候が良い日などは、いきなり気の向くままに「おい、釣りに行くよ」と言われ、天草の方までよく出かけました。また、畑仕事も時折手伝いました。自分の手で収穫した野菜を食べ、魚を釣り、そして師匠のもとで一緒に竹籠を編める・・・そんな弟子入り時代の三年間は、私の人生で一番貴重な時であったと思います。


 水俣は、水源から河口までを一つに含んでいる、こぢんまりとした、どこか温かい感じのするところです。また、かつての日本の高度経済成長の負の部分を、悲しいまでに引き受けてしまったところでもあります。私が暮らす上流地域の山里には、幅5mほどの川が流れています。家の裏を流れるこの川は、やがては、その「水俣病」を経験した海へと注がれます。そして今、水俣の海は、珊瑚の生息が観測されるほどの綺麗な海に回復しています。山と海は一つにつながっています。その中で暮らす人々の、里山や町の竹籠のある風景。これらは、師匠のような職人たちが、この地でしっかりと技を受け継いで支えてきたおかげです。



 水俣では、ザルのことを「しょけ」と呼びます。「しょけ」という言葉には、どこか昔の匂いがする、また、以前はどこの暮らしでも見かけた、ごくごく当たり前のもの、そんな感じがあります。地味ではあるものの、生活にしっかりと根ざした「しょけ」は、かつては体の不自由な人たちが家々を周って編んでくれたものでもありました。色々と複雑な思いも、そこには含まれています。


 まだ弟子入り前のこと。私はたまたま、師匠が紹介されていた地元の新聞記事を読む機会がありました。その中に書かれていた師匠の言葉。「今じゃ、竹細工職人と品の良か風に呼ばれますが、昔は『しょけ作り』でした。それで良かち思いますがな。」私は、この言葉を読んで、この人に弟子入りできるということの確かさを、はっきりと直感しました。今は残念なことに、師匠は「しょけ」を編めなくなってしまいました。しかし、師匠がかつて編んだ籠たちは、今も人々の暮らしの中で活躍中です。そして私は、師匠のカゴの修繕も頼まれます。師匠の籠職人としての生き様は、これからも決して無くなることはないと思っています。

(了)